従業員が、とある企業で得られた知識・ノウハウや顧客とのつながり等を利用して起業や同業他社へ転職をするケースをよく拝見します。従業員本人のキャリアアップのためには有意義なことと思われる一方、企業としては従業員が当該企業で築き上げてきたノウハウを利用して同業他社等で活躍した結果、業績が下がってしまうと深刻な問題となりかねません。このような状況が発生することを避けるためにも、特約等で従業員に競業避止義務を課すことが必要となります。もっとも、競業避止義務に関する合意をしさえすれば当該合意が常に有効となるわけではありません(どのような場合に、競業避止義務に違反するといえるのか、違反する場合に会社として何が請求できるのかという点について、別のコラム(会社が知っておくべき「競業避止義務」について(従業員の競業行為への対応))で述べさせていただきました)。
以下では、主に退職後の競業避止義務を課す特約等の有効性について、裁判例がどのような要素を重視して判断をしているのか、具体的な事例とともにご説明させていただきます。
※なお、従業員の競業行為について問題となる際、併せて従業員の引き抜きの問題が生じることが多々あります。従業員の引き抜きの問題については、別のコラムにて詳述しておりますので、ご参照ください。
目次
1.競業避止義務を課す特約等の有効性判断基準
会社が知っておくべき「競業避止義務」について(従業員の競業行為への対応)のコラムでも述べさせていただいたとおり、退職後は労働者の職業選択の自由(憲法22条1項)が尊重されるべきであり、従業員に競業避止義務を課すためには特約等特別な根拠が必要となります。もっとも、競業避止義務を課す特約等は憲法上の権利である職業選択の自由に制約を課すことになるため、退職後の競業避止義務を課す特約の有効性は慎重に判断すべきと考えられます。
では、どのような要素があれば退職後の競業避止義務を課す特約等は有効と解されるのでしょうか。
近年の裁判例では、①競業避止義務を課す根拠となる使用者の正当な利益の存在(使用者の営業秘密等の保護を目的とすること)を前提として、②労働者の職務内容・地位、③制限される競業行為の内容、地域的範囲、期間、④代償措置等の諸事情を考慮して競業避止義務を課すことに合理性があるかという観点から有効性を判断しているものと考えられます(なお、後述2⑶の裁判例のように、特約等の効力は有効としながら特約等の適用範囲を限定的に解する立場もあります)。
このうち、①については、労働者が在職中に取得した知識やノウハウ等の秘密性が高いと認められる場合は、使用者に正当な利益が存在すると考えられます。競業避止義務を課してでもそれらの情報を保護する必要性が高いと考えられるからです。知識やノウハウ等が、不正競争防止法上の「営業秘密」(同法2条6項)に該当する場合は特に使用者に正当な利益があると考えられます。
以下、裁判例を3つご紹介させていただきます。
2.裁判例
⑴ 奈良地裁昭和45年10月23日判決(フォセコ・ジャパン・リミティッド事件)
【事案】
債権者は、金属鋳造の際に使用する熔湯処理剤、鋳型用添加剤、押湯保温剤等の製造販売を業とする企業である。債務者らは、債権者の前身の企業に入社し、債権者の本社研究部や技術知識を有する販売員として営業活動を行う等長年にわたり債権者の技術秘密に関与していた。
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債権者と債務者らは、昭和37年1月10日及び昭和41年9月5日の2回にわたり、以下の契約を締結した。
・債務者両名は雇用契約存続中、終了後を問わず、業務上知りえた秘密を他に漏洩しないこと
・債務者両名は雇用契約終了後満2年間債権者と競業関係にある一切の企業に直接にも、間接にも関係しないこと
債権者は債務者両名に秘密保持手当を支給していた。
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昭和44年6月債務者両名は債権者を退職し、同年8月末に訴外会社が設立された後同社の取締役に就任した。訴外会社は、債権者の製品と対応する製品を試作し債権者の得意先等に対し取引を申入れ販売活動等を行った。
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債権者は、「債務者両名は別紙目録記金属鋳造用副資材の製造販売業務に従事してはならない。」旨の保全処分を求めた。
【裁判所の判断】
裁判所は、前提として「被用者に対し、退職後特定の職業につくことを禁ずるいわゆる競業禁止の特約は経済的弱者である被用者から生計の道を奪い、その生存をおびやかす虞れがあると同時に被用者の職業選択の自由を制限し、又競争の制限による不当な独占の発生する虞れ等を伴うからその特約締結につき合理的な事情の存在することの立証がないときは一応営業の自由に対する干渉とみなされ、特にその特約が単に競争者の排除、抑制を目的とする場合には、公序良俗に反し無効であることは明らかである。従って被用者は、雇用中、様々の経験により、多くの知識・技能を修得することがあるが、これらが当時の同一業種の営業において普遍的なものである場合、即ち、被用者が他の使用者のもとにあつても同様に修得できるであろう一般的知識・技能を獲得したに止まる場合には、それらは被用者の一種の主観的財産を構成するのであつてそのような知識・技能は被用者は雇用終了後大いにこれを活用して差しつかえなく、これを禁ずることは単純な競争の制限に他ならず被用者の職業選択の自由を不当に制限するものであつて公序良俗に反するというべきである。しかしながら、当該使用者のみが有する特殊な知識は使用者にとり一種の客観的財産であり、他人に譲渡しうる価値を有する点において右に述べた一般的知識・技能と全く性質を異にするものであり、これらはいわゆる営業上の秘密として営業の自由とならんで共に保護されるべき法益というべく、そのため一定の範囲において被用者の競業を禁ずる特約を結ぶことは十分合理性があるものと言うべきである。」等と述べました。
そして、金属鋳造用の副資材の製造法に関して、
・債権者は、親会社から技術援助を受けるに際して製品の成分・製造方法に関して秘密の漏洩防止を義務づけられていること
・債権者は研究部・生産部に所属する社員に対して機密保持手当を支給しており、債務者両名にも支給していたこと
・債権者にはそれぞれ極秘作業ハンドブックが存在し(3冊存在していた)、その中には物質名・粒度等の特性が記載され、製造工程には反応温度、作業時間等の製造工程に関する記載があったこと
・他の製品の製造方法についても3冊のハンドブックを照らしてその全体が明らかになるようになっていること等を上げた上で、債権者が製品製造工程に独自の技術的秘密を有していると認めました。
その上で債務者Y1が研究部で原料の処方や温度等の作業諸条件の検討、製造後の製品検査、品質管理等を行い、債務者Y2は債務者Y1と同様の業務と営業部員に対する技術指導等を行っていたことから、「債務者両名は、債権者の技術的秘密を知り、知るべき地位にあったと言うことができる」と判断されました。
以上を前提に競業避止義務に関する契約について、
・本件契約は制限期間は2年間という比較的短期間であったこと
・制限の対象職種が金属鋳造用副素材の製造販売と競業関係にある企業であること
・債権者の営業が特殊な分野であることを考えるとしては比較的狭いこと
・場所的には無制限であっても、債権者の営業の秘密が技術的秘密である以上やむを得ないこと
・在職中に機密保持手当が支給されていたこと等
を総合すると「本件契約の競業の制限は合理的な範囲を超えているとは言い難く・・・いまだ無効と言うことはできない」と判断しました。
※本件については、債権者の秘密について被用者が他の使用者の下でも同様に修得できると思われる一般的知識・技能ではなく債権者独自の技術的秘密であり(①競業避止義務を課す根拠となる使用者の正当な利益が存在すること)、保護の必要性があることと比較して、契約による制限が合理的な範囲にとどまっているという判断がなされたものと考えられます。
⑵ 東京地裁平成14年8月30日判決(ダイオーズサービシーズ事件)
【事案】
原告は、清掃用品、清掃用具、衛生タオル等のレンタル及び販売等を目的とする株式会社であり、被告は、勤務先の持株会社化に伴う転籍により、原告の従業員となった。被告は、埼玉ルートセンターに所属し、埼玉県内において、「ルートマン」として、レンタル商品の配達、回収等の営業を担当した。
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被告は、原告に対し、原告の求めに応じ、
・「就業期間中は勿論のこと、事情があって貴社を退職した後にも、貴社の業務に関わる重要な機密事項、特に『顧客の名簿及び取引内容に関わる事項』並びに『製品の製造過程、価格等に関わる事項』については一切他に漏らさないこと。」(ⅰ)
・「事情があって貴社を退職した後、理由のいかんにかかわらず2年間は在職時に担当したことのある営業地域(都道府県)並びにその隣接地域(都道府県)に在する同業他社(支店,営業所を含む)に就職をして、あるいは同地域にて同業の事業を起して、貴社の顧客に対して営業活動を行ったり、代替したりしないこと。」(ⅱ)
旨記載した平成12年2月4日付け誓約書(以下「本件誓約書」という。)に署名押印して提出し、原告はこれを受領した。
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平成13年6月に原告は被告を懲戒解雇し、被告は解雇後に訴外S商事とサブフランチャイズ契約を締結し、原告在籍中に営業を行っていた顧客へ営業活動を行った。原告は、被告が秘密保持義務および競業避止義務に違反して顧客を奪ったとして、債務不履行または不法行為に基づく損害賠償請求を求めて提訴。(ⅰ)、(ⅱ)の有効性が問題となった。
【裁判所の判断】
(ⅱ)について、「このような退職後の競業避止義務は、秘密保護の必要性が当該労働者が秘密を開示する場合のみならず、これを使用する場合にも存することから、秘密保持義務を担保するものとして容認できる場合があるが、これを広く容認するときは、労働者の職業選択又は営業の自由を不当に制限することになるから、退職後の秘密保持義務が合理性を有することを前提として、期間、区域、職種、使用者の利益の程度、労働者の不利益の程度、労働者への代償の有無等の諸般の事情を総合して合理的な制限の範囲にとどまっていると認められるときは、その限りで、公序良俗に反せず無効とはいえないと解するのが相当である。」と述べた上で、
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・(ⅰ)の定める秘密保持義務が合理性を有することを前提として(なお、(ⅰ)の対象となる秘密情報が無限定ではないこと、(ⅰ)の各事項にかかる情報が原告の経営の根幹に関わる重要な情報であるといえること、被告が各事項の内容を熟知し、その利用方法・重要性を十分認識していること等に基づき、(ⅰ)の定めを有効としています)、「禁じられる職種は、原告と同じマット・モップ類のレンタル事業というものであり、特殊技術こそ要しないが契約獲得・継続のための労力・資本投下が不可欠であり」、「新規開拓には相応の費用を要するという事情がある」こと(使用者の正当な利益が存在しているといえる)
・退職後2年間という短い時間であり、在職時に担当したことのある営業地域並びにその隣接地に愛する同業他社という限定された区域であること
・被告が禁止されているのは原告の顧客奪取行為であって、それ以外の行為は禁止されていないこと(競業自体が禁止されているわけではない)
・マット・モップ類のレンタル事業の市場・顧客層が狭く限定されているわけではないこと
等を考慮して、(ⅱ)は合意的な制限の範囲にとどまっていると判断しました。
※なお、本件は2の判断基準で述べた④代替措置等は講じられていませんでしたが、それのみで(ⅱ)を無効とはせず、「代償措置が講じられていないことのみで・・・競業避止義務の合理性が失われることにはならないというべきである」と判断しました。(ⅱ)で禁止されている内容が限定的であることも考慮しこのような判断になったものと考えられます。
⑶ 東京地裁平成17年2月23日判決 アートネイチャー事件
【事案】
原告は、毛髪製品の製造、販売等を行っている会社であり、被告会社は、毛髪製品の製造、販売等を目的として平成14年5月7日に設立され、美容室を開設しかつらのメンテナンス及び美容業を行っている。その他の被告Y2らは、被告会社に就職して営業行為を行っていた。
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原告の営業秘密規定では、秘密保持誓約書を提出した者が退職した場合には、原則2年間、競合地域での同種事業を営む他社への就職が制限されることが規定されていた。また、被告Y2らは、平成10年3月から5月にかけて、営業秘密保持誓約書(退職の日から2年間、競業関係にたつ事業への就職又は役員就任あるいは独立して競業する事業の営業を行わないことが記載されている)を提出して、競業避止の合意をした。
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原告は、被告Y2らが原告の顧客情報等について不正競争防止法2条1項所定の不正取得行為、不正取得後の使用行為等の不正競争行為を行ったという主張や、被告Y2らが被告会社に就職したことが競業避止義務違反を構成するという主張等を行い、勧誘行為の差し止め、顧客データ等の破棄、顧客名簿の使用等の差し止め、損害賠償を求めて提訴。
【裁判所の判断】
被告Y2らは、営業秘密規定や営業秘密保持誓約書には効力がない旨主張しましたが、裁判所は、「営業秘密規程に基づく競業避止義務を負うか否かの点はさておき、少なくとも、本件誓約書に基づく競業避止義務を負うというべきであると判断する」と判断し、営業秘密保持誓約書が有効であることを前提とし、競業避止義務の範囲について、
「従業員と使用者との間で締結される、退職後の競業避止に関する合意は、その性質上、十分な協議がされずに締結される場合が少なくなく、また、従業員の有する職業選択の自由等を、著しく制約する危険性を常にはらんでいる点に鑑みるならば、競業避止義務の範囲については、従業員の競業行為を制約する合理性を基礎づける必要最小限の内容に限定して効力を認めるのが相当である。そして、合理性を基礎づける必要最小限の内容の確定に当たっては、従業員が就業中に実施していた業務の内容、使用者が保有している技術上及び営業上の情報の性質、使用者の従業員に対する処遇や代償等の程度等、諸般の事情を総合して判断すべきである。上記の観点に照らすならば、従業員が、使用者の保有している特有の技術上又は営業上の情報等を用いることによって実施される業務が競業避止義務の対象とされると解すべきであり、従業員が就業中に得た、ごく一般的な業務に関する知識・経験・技能を用いることによって実施される業務は、競業避止義務の対象とはならないというべきである」
として適用範囲を限定的に解釈しました。
その上で、
・被告Y2らが被告会社の美容室で行っている業務の内容は既に購入したかつらの使用者を対象としたかつらのメンテナンスや美容業であって、これは原告就業中の日常業務から得た知識・経験・技術を利用した業務であり、原告が保有する特有の技術上又は営業上の情報を利用した業務であることに足りる証拠がないこと
・被告Y2らは、被告会社の美容室を開始するにあたって、地元新聞等へ広告や折り込みチラシ、ポスティングよる宣伝広告活動を行うことにより、自己の顧客を開拓したものであって、原告特有の営業上の情報を利用したものではないこと
・その他被告Y2らが被告会社の美容室において業務を遂行するにあたり、原告特有の情報を利用したことを認めるに足りる証拠はないこと等
を考慮し、被告Y2らの被告会社の美容室における業務は、営業秘密保持誓約書による競業避止義務の内容に含まれないと判断しました。
原告は、商品知識、接客サービスの方法等の営業ノウハウについても競業避止義務によって保護されるべき旨主張しましたが、「本件で被告Y2らが行っている、商品知識や営業態様は、正に従業員が日常的な業務遂行の過程で得られた知識・技能であって、このような知識等は、従業員が自由に利用することができる性質のものであると解すべきであって、そのような利用までも禁止することは職業選択の自由に対する重大な制約となるから、競業避止義務の内容に含まれると解することは相当でない。」と判断されています。
※本裁判例は、営業秘密保持誓約書の効力は有効としつつ、適用範囲を限定解釈するという判断をしていますが、2で述べた判断基準に照らすと①競業避止義務を課す根拠となる使用者の正当な利益が存在しないことを考慮して、競業避止義務違反がないものと判断していると考えられます。
3.従業員の競業行為への対応を行う企業のために千瑞穂法律事務所ができること
従業員の競業行為については多くの企業で問題となり、上記で裁判例を3つご紹介しましたが、他にも多数裁判例があります。千瑞穂法律事務所では、裁判例や過去の案件を踏まえた従業員の競業行為を防止するための就業規則や特約等の作成、修正のご提案や、万が一従業員が競業行為を行った場合の訴訟対応等についてサポートをさせていただきます。
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